「何かが足らない」
そんなことを考え始めたのは、大学を卒業して社会人になってから5年ほど経った時だった。
大学院を修了し、社会人になったのが1996年。
建築学科の卒業生には定番のようにゼネコンに入社した。
はじめは現場で。その後2年経った後に設計部へ異動。
最初に入社したゼネコンはとても雰囲気のよい会社で先輩や後輩などの人間関係に恵まれた。
仕事は順調。
しかし、入社して5年が経った頃、ある時感じ始めた。
「何かが足らない」
そんな折、病気になって入院することとなった。病名は髄膜炎。
幸い大事には至らなかったものの、会社を休んだ2か月間、様々なことを考えた。
そこで思い至った考えは、「全力で生きる」という言葉だった。
「人は簡単に死んでしまう。なら思うまま全力で生きていこう」
自分が「独立」を考えた瞬間だった。
2005年、独立。
「何かが足らない」と感じた自分は、もっと「ヒトに近い設計がしたい」と、自身の会社は「インテリアデザイン事務所」とした。
独立前から、人脈形成のために活動をしていたインテリアプランナー協会。
様々な人に多くのことを学び、ここでも「人」に恵まれた。
様々な出会いがあり、その関係からインテリアデザインの仕事を得ることになる。
マンションのリフォーム。オフィスのデザイン。
時々雑誌にも掲載され、一見順調そうに時間は経っていった。
しかし、ここでも感じてしまう。
「何かが足らない」
いや、自分に迷いが出ていた、と言った方がいいかもしれない。
「竹村さんて何が得意なんですか?」と聞かれて、明確に答えられない自分。
「御社は何が専門分野なんですか?」と聞かれて、答えに窮する自分。
自分は一体何をしたいのか。何が「道」なのか。
迷いがますます強くなっていった。
例えるなら、目の前に大きな扉があり、その先には広くて大きな道があることが分かっているのに、その扉を開けるカギを見つけられない自分。
ほどなくして、試練が訪れる。
会社を動かしていくほどの、収入が、ない。それ以前に生きていくための収入もない。払わなければいけないものが払えない、という恐怖。
自分のプライドを全て捨て去ってお金を借りる、というみじめな自分。
と、同時に自分が何をすればいいのか、どう進めばいいのかが分からない苦しみ。
なんとなく自然な形で人生が終わればいいのに、と考えたことも何度かあった中、
一人のお客さんの言葉をふと思い出す。
「竹村さん、展示会のブース、小さなブースをちゃんとデザインしてくれる会社ってないんですよ」
そう、言われたことがなんとなく頭の中に残っていた。
実は、独立前から関わっていたインテリアプランナー協会がインテリア系の展示会を主催しており、その関係で実行委員にもなっていた。
そんな中、年に数度だけだが、展示会のブースを請われてデザインすることがあった、という経緯。
どうしようもない状況の中で、自分の仕事を見つめなおした。
この時、「建築」と「インテリア」を自分は捨てることを、決めた。
「展示会ブースデザインに特化した空間デザイン事務所」
最後の希望、とはまさにこのことで、もう本当の意味で「後がない」と感じ、必死に動いた。
ホームページを書き換え、出展者の名前をネット上から検索し、月に数千通のDMを送る。
まだまだ数が少ない展示会ブースの実績を取りまとめ、プレゼン資料を作成する。
その動きが功を奏して、少しずつ仕事を得られるようになった。
会期中は、自分がデザインしたブースの前に立ち、ひたすら観察した。
どうすれば、お客さんが喜んでくれるのか、どんなブースが来場者を集めるのか。
少ない物件の中で、デザインしては考え、次に活かす。
それをひたすら繰り返した。
その結果、何とか「生きていく」ための収入が入るようになった。
「いろいろなことを幅広くやるのではなく、小さな一つのことを繰り返し行い、その専門家になる」
こう感じた瞬間だった。
それから数年後、仕事は順調に推移し、売上もかつての10倍近い金額となった。
「天職」とはまさにこのことだ、と感じる。
展示会に出展するお客様の出展ブースをデザインし、どうすれば来場者が集まるかを徹底的に考える。
会期が始まり、計算した通りに来場者が集まる。
結果として、お客さんの出展は成功し、展示会の最終日にお客様が満面の笑みで「ありがとう」と言ってくれる。
「ああ、自分が求めていたのはこれなんだ」
足らないものが分かった。
自分は「設計」がしたいのではなく、「デザイン」をしたいのでもなく、設計やデザインを通して、お客さんに喜んでもらうこと。
その「結果」がほしかったのだ、と理解した。
このことに気が付くのに10年以上の時間を費やした。
何が天職なのか、それはやってみなければ分からない。はじめから分かるものではない。
自分がどこかでこだわっているもの、それを捨てた時、初めて見えてくるものもあるんだ、と学んだ。
当社の会社名はスーパーペンギン。
展示会ブースの世界では、そこそこに知られるようになった。
昔感じた「広く大きな道」を今、ゆっくりと、そして堂々と進んでいる。
この先の成長が、今は楽しみでしょうがない。
本記事の監修者について
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METHOD/は、当社が日頃ブースのデザインを行っている中で、この手法を用いれば集客に成功する、と実感した手法、実際に集客に成功した手法をとりまとめてお伝えいたします。常に出展者に寄り添い、共に「出展成功」を考える立場だからこそ気が付くこと、展示会ブースを行う立場だからこそ気が付くことをお伝えいたします。